ぶつぶつ・・・。 第25話 壮絶な土地2連発
ジャンルわけなんてできないですね。「ぶつぶつ」ですから・・・。
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No,1457

第25話 壮絶な土地2連発

 おはようございます。書いているのは8月22日。39歳まであとほんのわずかという土曜の朝のKtaroであります。
 前号の初山別村から南へ24.4km。Haボろ町へやって参りました。
20090806027.jpg
 おいおい、車から降りろよって感じな写真ですが、降りられないワケがあるのですよ。20年ほど前にある女性と出会いましてね?4年ほどお付き合いしたのですが、どうにもウマがあわず別れ話となりました。向こうもすぐに『いいよ』の返事。ただし『条件付き』でした。その条件をのむと約束したばかりにその後の私、そして彼女の時間を無駄にしてしまいました。完結できたのは『いいよ』から7~8年ほど経ってからだったかな・・・。もう一度生まれ変わったなら、その時は20代後半から30過ぎまでのこの時間、もう少し有意義に過ごしたいものです。
 あれからまた6~7年の月日が流れております。確かあのとき彼女は某都市に独り暮らしをしていたはずなのですが、既に実家に帰っているとも考えられます。職がなくその辺でレジのバイトってことも十分に考えられましたので私は車から降りずに同行者にマグネットプレートを買いに行ってもらいました。それにしてもわかりづらい道の駅。
20090806029.jpg
「たぶん、あの黄色い建物じゃないかな?お願いしますね。」
と送り出した直後、その黄色い建物からおじいちゃんが股間を押さえて出てきました。
「ありゃ、トイレだな・・・。」
20090806028.jpg
 道の駅の売店はこの大きな建物の裏側でした。

 最初に書いたこの町の名前も、勿論あんな綴りではないのですが、どこでどう間違えて検索結果に反映されるかわからないのでね。ここは私にとっては壮絶な過去に関わり合いのある土地。すぐに立ち去りましたよ。
 あ、カントリーサインも載せるのやめておきます。

20090806030.jpg
 ほんの8kmほど南下して到着したのは次の道の駅『風Wとままえ』。ここは別に私が名前を隠したくて『W』を入れたのではなく、最初からこういう名前なんです。Wってなんでしょね?
 たった8kmなのでちょっと心配もしたのですが、ここは思い切って私も降りてマグネットプレートを購入。トイレ行きたかったのでね。
tomamae.jpg
 なーんか偽プーさんみたいなのが出ていますねぇ。ところでみなさんは『熊』と聞いて頭に浮かぶイメージってあります?幼い頃、父にくっついて行って渓流釣りなんかをしておりましたのでよく言われてたのですが、私にとっての熊のイメージは
(; ̄Д ̄)恐ろしい!
ですよ。北海道人じゃないと『熊』って聞いたら思い出すのはツキノワグマとかアライグマ(あれは熊なのか?)とか、比較的小型の熊を思い出すでしょうが、我々北海道人が思い出すのはヒグマです。体重が500kgぐらいの大物もいるのです。それだもの、登別クマ牧場のコマーシャルを最初に見たときはビックリしましたよ。
「(; ̄Д ̄)誰が行くんだ?」
ってね。
 ここ苫前の道の駅の建物内に、『羆事件』という過去の事件を大きく伝えるチラシ(?)が貼られて解説が書かれていました。
「(-”-)この『熊』みたいな字、なんて読むんだろう?」
「(´ー`)それは一文字で『ヒグマ』って読むんだよ。」
 この時そのチラシの詳細を読んでいるほど時間に余裕がなく早々にここを立ち去ったのですが、『羆事件』というこの言葉、どこかで聞いたことのあるような・・・・・。この旅行から帰ってきてちょっと気になったので調べてみたら、えぇ確かに昔聞いたことのある事件の詳細でした。たぶん、小学校5年か6年の社会の授業で、地域の歴史みたいなのを教材として扱ったときにこれが題材の1つにあり、それを覚えていたのだと思います。かなりショッキングな内容でしたからね。聞きたい?御飯食べながらとかは読まない方がいいと思いますよ。

三毛別羆事件
 北海道の中でも早くから開拓されていた函館には市電が走り、札幌では飛行機の離着陸までできるようになっていた1915年。それでも厳冬に阻まれて、北海道にはまだまだ広大な未開の地があった。三毛別(サンケベツ)もそんな土地の1つ。そこに来ていた開拓団を羆が襲った。
 1915年11月ある日の夜明け頃、開拓一家の1つ、池田さんの家に羆が現れた。外に吊してあったトウモロコシが狙いのようだったが、近くにいた馬が暴れ出したために羆はそのまま逃走。11月20日、またしても羆がやってきたために池田さんは二人のマタギを呼び、次男を含めた4人で待ち伏せをする。3度目の襲来となる11月30日には羆に対して発砲するが、この時代に彼らが使っていた銃は実に精度が低く、滅多に標的にあたらない、あるいは不発に終わることもしばしば。銃弾は羆に命中するも急所をはずして逃げられてしまう。翌日、熊の足跡、血痕をたどって後を追うが、地吹雪のために断念する。
 いつまでも羆にだけ集中していては仕事にならない。男達はまたいつもの仕事に戻り、物資を運ぶために家をあけていた12月9日午前10時半。またしてもトウモロコシ狙いで今度は太田さんの家に羆が現れる。この時羆は太田さんの家の壁まで壊し、中にいた太田さんの内縁の妻マユと、この日ここに預けられていた子ども幹雄と遭遇してしまう。当然二人はビックリである。あげた悲鳴がさらに羆を刺激してそのまま中へと入り込む。最初の犠牲者は幹雄。羆の一撃で喉の肉をそぎ落とされ、さらに頭にかじりつかれて即死。マユは燃えた薪をつかんで羆に投げつけ逃げようとするが、追いついた羆の一撃であたりに血が飛び散る。意識のまだあったマユはなおも必死に逃げようとするが羆にかじりつかれ、そのまま羆はマユを引きずって森の中へと去っていった。
 昼となり、昼食を食べに戻った要吉が太田家の惨状を発見。すぐに男達を呼び戻す。翌朝、30人ほどの捜索隊が羆討伐のために森の中に入るが、150mほど入ってすぐに羆と遭遇。5人の打ち手が発砲するがほとんど不発。まともに玉が出たのは一丁だけだった。これに怒った羆が反撃に出てくる。他の者の武器と言ったらカマだとかそんなもの。一行は散り散りに逃げまどうが、逃げ遅れた二人の鉄砲打ちの一人が危うくやられるところでもう一人がカマで応戦。幸運なことに羆はコレで逃げ出し、この捜索での負傷者は出なかった。改めて辺りを捜索すると血に染まった雪の一面を発見。掘り返すとマユの遺体を発見。ただし残っていたのは頭部の一部と膝下だけだったという。
 野生の羆は一度手にした餌を諦めない。取られたら取り返しに来る習性を知っていた彼らは、太田家にマユの遺体を持ち帰り、鉄砲や武器になるものを準備をしながら通夜を行いながら待ち伏せをしていた夜8時半頃、予想どおり羆が自分の餌を取り戻しにやってきた。わかってはいたのだが、あまりにも急な襲来で男達は慌てふためき逃げまどう。ランプは消えてしまい、マユの遺体は床に散らばる中、一人がようやく銃を発砲し、驚いた羆はその場から逃走。300mほど離れた隣家で食事をし待機していた50人ほどの救援隊がこの騒動に気付き、やってきて太田家を取り囲んだが既に羆の姿はなく、森に逃げ帰ったのだと思いこんだ。
 太田家から900mほど離れたところには明景さんの家があり、ここは一連の事件が起きた場所からも比較的距離があったために、女、子どもは明景さんの家に避難していた。太田家での一騒動を終えた男達が明景家へと戻り始めていたその頃、逃げたはずの羆が明景家に現れた。
 明景家では妻ヤヨが、四男である梅吉を背中におぶってカボチャを大鍋で炊いていた。男達の夜食のためである。そこへ羆登場。屋内に侵入した羆は大鍋をひっくり返し、囲炉裏は消火。真っ暗になった屋内から逃げだそうとするも、しがみついてきた次男勇次郎に足をとられてその場に転倒。羆に追いつかれてまず、背中の四男梅吉の腰にかみつき3人を胸元に引きずり込む。続いてヤヨの頭に2~3度かみつく。この時唯一この家に残っていた男手の要吉(太田家の惨状の第一発見者)はコレを見て逃走。これに反応して羆は3人を手放し、戸口へと走る要吉を追いかける。おかげでヤヨは重傷を負っていたにもかかわらず、次男勇次郎の手を引いて背中の梅吉とともに屋内から逃げ出すことに成功。一方新たな標的とされた要吉は出口を羆にふさがれてしまい、ようやく上半身だけが隠せるような物陰に身を潜めたが、そこへ羆の一撃がきて右腰をえぐり取られてしまう。激痛に絶叫した要吉の声に怯んだ羆は再度その視線を別の場所へ。屋内にはまだ7名が取り残されており、恐怖のあまりに泣き叫んでいる。羆はまず明景家三男金蔵と斉藤家四男春義を一撃で撲殺。続いて斉藤家三男厳にかみつき床に叩きつけた。斉藤石五郎の妻タケはこの時むしろの下に身を隠していたのだが、我が子の絶叫を耳にして顔を上げてしまい、羆に見つかる。ここまで女体ばかりを食べていたこの羆がこのタケを見逃すはずもない。臨月を迎えていたタケは必死に腹の子だけは助けてくれと懇願するが、当然羆に人間の言葉が通じるはずもなく何度もタケにかみつき肉を引きちぎっていった。気絶したタケの腹から胎児を引きずり出した後、タケを頭から食べ始めた。タケを食べ終わると既に撲殺していた二人の子どもも食べた。屋内には他に明景家長男・力蔵と長女・ヒサノもいたのだが、恐怖のあまり身動きできずにいたのが幸いして奇跡的に助かった。
 明景家に向かっていた男達は逃げてきたヤヨとその子どもに出会い、明景家で何が起こったのかを知ることとなった。一行は急いで明景家に向かう途中で要吉を発見。保護した後に明景家を取り囲んだ。辺りは真っ暗で容易に中には入りこめない。中からはタケと思われる女のうめき声が聞こえ、その声が聞こえなくなると肉を咀嚼(そしゃく)する音、骨をかみ砕く音が聞こえてきた。生存者はもうないだろうと家ごと焼いてしまう案も出されたのだが、我が子がまだ生きているかも知れない思うヤヨの必死の願いでそれは取りやめとなる。男達は二手に分かれ、家の裏手から大声で羆を脅す。驚いて表側に出てきた羆にもう一方の男達が発砲するがまたしても不発。その間にまんまと羆は逃げ去ってしまった。
 木の皮に火を付け照明として屋内に入ってみると、中には瀕死の重傷を負っている厳、先に撲殺され食べ散らかされた二児、下半身だけ食べ残されたヤヨ、そしてそのヤヨの下半身の側にはまだ動いている血だらけの胎児が横たわっていた。


 ね?壮絶でしょう?羆はこの数日後に、犠牲者の遺体を餌にしておびき寄せ、12月14日に鉄砲の名手、山本兵吉に心臓と頭部を打ち抜かれて射殺された。体重350kg、身の丈2m70cmだったという。太田家で二人、明景家で3人が食べられたわけだが、その後はどうなったかと申しますと
斉藤タケの胎児⇒発見1時間後に死亡
明景家三男・厳⇒同じ日の深夜に死亡
長松要吉⇒事件の翌年、農作業中に川へ転落して死亡
明景家四男・梅吉⇒酷い後遺症が残り、事件の二年八ヶ月後に死亡
明景家二男・勇次郎⇒事件の二十七年後、太平洋戦争で戦死

 現在、三毛別地区には当時の家屋が復刻されて建っているが、住んでいる者は誰も居ない無人の地である。
【2009/09/02 04:20】 岬巡りの旅 番外編 | トラックバック(0) |
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