ぶつぶつ・・・。 第26話 上平 風車の丘公園~小平鰊番屋
ジャンルわけなんてできないですね。「ぶつぶつ」ですから・・・。
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No,1459

第26話 上平 風車の丘公園~小平鰊番屋

20090806032.jpg
 前回の道の駅から6~7km南下したところに上平風車の丘公園があります。この画像は・・・・・
そこへ行こうとしたら道に迷って、風車のすぐ下まで来ちゃった時のものです。
 事前の下調べでは
「丘の上に公園があって、眼下に大量の風車群と緑、そして海の青が見える、きっとそんな壮大な風景が広がってるんだろうなぁ~♪」
なんて勝手に想像していたのですが、今回借りていったナビには『風車の丘公園』なんて文字が出てこない。仕方がないので家の中と車を往復して、ネットで調べた風車の丘公園の位置とだいたい同じ辺りを目的地としてセットしてありました。
uehira1.jpg
 この地図で言うと、画面上部が北。ずーっと国道232号線を南下してきて右折。結構な上り坂の途中に完全にUターンするぐらいの急カーブがありまして、さらに登っていくとT字路に出ました。右折してさらに南へ向かっていくと、車が1台ようやく通れるような砂利道。左右からは草がボーボー生えてきてて、車体に傷が付くんじゃないかと心配。でも、どんどんどんどん進んで行くと右(西)側に少し開けた土地を発見。
「(-”-)車、乗り入れできるのかしら?」
 埋まっちゃうんじゃないかと心配しながらも乗り入れてみると、既に先客がおりました。札幌ナンバーのジープ。まぁこんなところ、普通はオフロード対応の車で来るわな。30前後のお兄ちゃん。側にはスンゴイカメラが設置されていて、風車の撮影をしておりました。
 こういうとこ、誰もいないからいいのであって先客が居るとなれば用はない。だいたい『風車群』として有名なこの場所でしたが、風車の数だったら宗谷丘陵にあった方が断然多い。ここまで来る途中に一度車を停めて風車も写した(最初の写真)ことだし、早々に立ち去ることにした。今走ってきた砂利道に車を戻し、記憶ではそのままその道は山の中を通って再び国道232号線に戻っていたのだが、その先を見てみるとかろうじてわだち部分に砂利が確認できるものの、中央部分は草がボーボー。さらに両サイドからも草がボーボー。ほとんど前も見えない状態。しばらく車が往来がした形跡がない。私のベンちゃんがどの程度まで耐えられるか心配になった。
uehira2.jpg
 結局今来た道を戻って国道に戻ることにした。

 昨日までは予定時刻よりも1時間も2時間も早く進んでいたのだが、この日ここまで150km走ってきているが予定より10分しか余裕がない。先を急ぐことに。
 大急ぎで国道に戻って飛ばすこと15分。予定の12時ジャストより15分早い11時45分に道の駅『おびら鰊番屋』に到着した。
20090806033.jpg
 写っているのは道の駅としたときに、わざわざ隣の重要文化財にあわせて古そうに作られた建物。売店はこの中で、早速プレートを買う。
obira.jpg
 番屋と鰊と海ですね。で、ここに描かれている番屋が道の駅の名前となっている旧花田家鰊番屋です。
20090806034.jpg
20090806036.jpg
 1904年、この辺の大網元だった花田伝作が建築したものを、1971年に国指定重要文化財になったことを受けておよそ1億9千万円かけて改修したそうです。いったいどの辺が1億9千万円なんでしょうねぇ。昭和30年頃までは日本海沿岸にはアホみたいに大量の鰊が押し寄せており、一網あげれば千両にも万両にもなったとか。花田さんってのはそんな定置網を18基も持ってて500人以上の漁夫を雇っていた大金持ちです。私なんか家一軒も持っておりませんが、彼は米倉や船倉などを合わせると100棟以上の建造物を所有していたそうですよ。鰊御殿とも呼ばれるこれらの建物は当時そうした金持ち網元によって金と日数に糸目を付けずに建てられ、ここより南側にもいくつもありますが、この花田さんの建物は現存するものの中で道内最大だそうで、中は意味もなく2階まで吹き抜け。一度に200人以上の漁夫などが寝泊まりしたそうです。
 この道の駅は国道から見て陸側に建っているのですが、その真正面。国道の海側には
20090806037.jpg
こんな慰霊碑が建てられておりました。
三船遭難
 『三船』っていうのは三船俊郎の事ではない。『三つの船』の意。私が習った昭和の歴史教育では昭和二〇年八月一五日に日本は敗戦(終戦)していたはずであるが、最初から漁夫の利目的で参戦してきたソ連はその後も侵攻を進めて樺太全土と北朝鮮、千島列島他北海道の周辺をどんどんその支配地へと変えていった。そんな中、樺太在住の日本人は本土へ逃れるために引き揚げ船に続々と乗り込んでいたわけだが、そんな引き揚げ船の1つ小笠原丸が8月20日に1500名ほど乗せて稚内に到着。危険はわかっていたのだが列車の混雑などを理由に700名ほどをそのまま乗せて再度小樽へ向けて出航したが、8月22日午前4時20分頃、留萌沖で国籍不明の潜水艦によって撃沈。638名が死亡した。
 続いて同日午前5時13分頃、樺太から直接小樽を目指していた第二新興丸が留萌沖でまたしても国籍不明の潜水艦による魚雷攻撃を受ける。ただ、この船は軍艦であったために武装されており応戦。浮上してきた潜水艦と銃撃戦になる。この戦闘で潜水艦1隻に致命的損傷を与えた。第二新興丸は船体に大きな穴があくなどしたが機関に損傷がなかったために留萌港に入港。銃撃戦による死者、行方不明者はあわせて400名弱が犠牲者となった。
 さらに同日午前9時52分頃、同じく樺太から小樽へ向かっていた泰東丸が留萌沖合で浮上してきた潜水艦から砲撃を受ける。単なる貨物船だった泰東丸はなすすべもなく白旗を揚げるが砲撃は続けられ沈没。667名が死亡した。
 ほぼ同じ場所に待ちかまえていた潜水艦に三船が攻撃され、国籍不明とされていたが、ほぼ間違いなくソ連の潜水艦である。当時ソ連は北海道までも自国の領土にするために侵攻を続けており、それは9月4日まで続いている。後に明らかにされたソ連の公文書によると、この時留萌上陸をもくろんでいたソ連軍は2隻の潜水艦をこの海域に潜伏させており、3隻の船を攻撃、2隻を撃沈したと記されている。ソ連側の潜水艦は2隻。1隻は後に帰国したがもう1隻は宗谷海峡にて沈没。乗組員は全員死亡とされている。無論、ソ連が崩壊したためにわかった事実であるが、その後未だにロシア政府はこの三船遭難の原因となったのが当時ソ連の潜水艦によるものであるとは公認していない。

 しかしまぁ、ソ連ってのはしたたかな存在だったのですね。朝鮮半島は戦前日本が侵略したわけだから、まぁ敗戦によって取り上げられても当然ですよ。樺太だって、昔はソ連と日本で『どっちの領土にする?』的な交渉が続いてたようですが、北海道の開拓に手こずっていた日本が一旦は全部放棄したんですから、まぁ仕方がないですよ。でも北方領土と呼ばれているあの島々を、アメリカに取られちゃったんならわかるけど、ソ連に取られちゃったんだものねぇ。しかも終戦後に。おまけに危うく北海道までもがでしょう?前にも書きましたがたまにね?北海道の漁船がロシアに拿捕されたりしてニュースになったりするでしょう?捕まっちゃうまでいくとニュースになってますが銃撃されたりするのなんかしょっちゅうあるらしいですよ。未だに小競り合いは続いているのです。

20090806038.jpg
 これは三船遭難慰霊碑のすぐ横に建ってるアーチ。なんか意味があるのでしょうが、気になったのがこっちの銅像だったのでねぇ。
20090806039.jpg
 なんかメチャメチャ顔デカイでしょう?親近感わきますよ。
20090806040.jpg
 これ、あれですね。昔この辺の地図書いた人ですよ。でも、昔日本地図書いた人と言えば有名な人、いるじゃないですか。アレ?なんて名前だったっけナァ。忘れちゃった。でも、その人とは別にこの人の銅像が建ってるってことは、有名な方の人、北海道は無視だったんでしょうかねぇ。
20090806041.jpg
 やはりウニと言えば日本海側ですね。でも、今回の旅では積丹半島にて贅沢する予定ですのでこの辺のウニは無視。さっさと南下していくことにいたしましょう。
【2009/09/03 04:42】 岬巡りの旅 日本海沿岸編 | トラックバック(0) |
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