ぶつぶつ・・・。 大117話 松前公園
ジャンルわけなんてできないですね。「ぶつぶつ」ですから・・・。
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No,1656

大117話 松前公園

 先日まで中体連の引率に、土日含めて4泊5日を費やしたところですが、明日からは3泊4日で渡島半島の東部にある岬を巡りに行ってくるKtaroです。今回は訳あって札幌円山動物園なんかも行くものですから、この前回りきれなかった渡島半島中央部にある岬は今回もまたお預け。同行者が道の駅に興味を持ち始めたのでそちらにも時間を費やさなければならないのでね。
 出かける前に少しでも前の旅の報告を終わらせておこうと思ってパソコンに向かっておりますが、もう呑み始めちゃっているのでいつまでもつことやら・・・・・。
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 この地図に示されている場所が全部松前公園なのか、それとも中央縦に背景が薄緑になっているところだけが松前公園なのか定かではありませんが、とにかく前回まで居た松前藩屋敷からすぐのところに桜や松前城(確か復元のはず)があるわけです。
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 何度かお話ししておりますが、この春は寒さ厳しく桜前線が全くあがってきませんでした。そのため4月30日に訪れたこの日も桜はまだ。しかし早咲きの冬桜だけはこうしてあちこちポツポツとその花びらを見せてくれていました。
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 これはこれできれいな花びらですね( ̄∀ ̄)

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 くねくねと進んでいくと墓地らしき場所が目に入った。今見ている自分の位置が、その裏側にあたると気づき正面に回ってみると見えたのがさっきの石柱。松前藩代々の墓所のようである。
 入り口には
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とかいう巨木が立っておりました。写真に納めようとしたのですが、居る位置が近すぎて
下半分
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上半分
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って感じにしかレンズに収まりませんでした。
 とりあえず中に入ってみましょう。あ、墓地ですので色々不都合なものが写り込んでいて、それを見つけちゃった人、ごめんなさいね。私はあんまり対象以外に視線をやらないので今のところ何も見つけておりませんが・・・・・。
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 先ほどの巨木の足下、すぐ左側から墓所への入り口へと進んで参ります。
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 先ほどの門をくぐってすぐ右側だったと思いますが、第13代ゆかりの墓石が立ち並んでおります。
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すごいですねぇ。召使いのお墓がありますが、名前は彫られずに『召使』と彫られるんですね。右側には
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え~、誰でしょうか?おばあちゃんでしょうか?近くにこの墓所にある分だけの家系図があったので見てみましょう。
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 う~ん(; ̄ー ̄)...ちょっとややこしいですな。今ご覧いただいた家系図の1,2,3,4,5・・・は一族の初代、2代目、3代目・・・なんですよ。つまり最初の蠣崎(かきざき)氏を含めてです。第4代当主季廣(すえひろ)までは蠣崎を名乗っており、第5代当主慶廣から松前を名乗っております。もしもこの慶廣を1世とするのであれば第13代当主は18番目の徳廣ということになりますが、墓標に13とあって立て札にも13とあるわけですから、ここは蠣崎から数えて13代目、道廣(みちひろ)を指していると考えるのが妥当でしょうねぇ。どっちにしてもトミとういのはこの家系図にはでていませんね。念のため『松前トミ』をいくつか有名な検索エンジンで探してみましたがどこにおいてもHITありませんでした。
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 先ほどの墓碑が『入り口入ってすぐ右手』にあるのに対し、こちらは入って正面にあった(気がする・・・なんせもう3ヶ月以上前のことになっちゃったんで・・・)墓碑です。お名前を見ると
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 第6代当主の正室、椿姫だそうです。これではっきりしましたね。さっきの第13代も松前の13代ではなく一族の13代目です。だってホラ、
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 武田の一族であるという蠣崎始祖の蠣崎信広から数えて6代目にあたる盛廣(もりひろ)の奥さんのところにしっかりと椿姫って書いてありますものね。この、椿姫についてはネット上にもチョコチョコ記録が見つかりました。さっきの写真は扉が開いていますが、あの扉には十字架が刻まれているそうです。キリシタンだったんですね。
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 これは・・・・・名前無かったかなぁ。墓所内に立っていて途中から2本になってる木。ちょっとおもしろいので写してみました。
 松前町のホームページによると、この墓所には松前家開祖の武田信廣から19代目まで、武田・蠣崎・松前家にゆかりのある人達55人のお墓があるようなんですが、だんだんお墓を見るのも飽きてきて、初代の墓碑を見つける前に退散。次に向かうことにしました。
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 これは重要文化財の法源寺山門です。17世紀中頃の建造物で、北海道の寺社建築の中でも最古の部類になるそうだ。ただ、これ以外の部分は明治維新の戦乱の際に消失してしまったそうです。悪いやつがいたもんです。歴史には余り詳しくありませんが、徳川幕府の脱走兵と松前藩が戦って松前城は落城(なんで脱走兵に負けるんだか・・・)とありますから、その悪者ってのは・・・・・土方歳三ってことになりますね。

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 こちらはところ変わって龍雲(りゅううん)院。先ほどと同じ、重要文化財です。1625年に始まったお寺のようですが、現在の建物は1830年に建てられた物。松前町内でもっとも古い寺院だそうです。やはり戊辰戦争の際に破損してしまったようですが、さっきの山門だけしか残らなかったお寺とは違い全壊は免れたようです。
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 こちらは龍雲院境内にある蝦夷霞(エゾカスミ)桜。松前三大名木の一つで、『蝦夷霞』は桜の種類ではなくこの一本に銘々された名前です。昔の北大の教授が付けたようです。
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 右側に見えるのが蝦夷霞桜。咲いたらきれいなんでしょうねぇ。見頃はゴールデンウィーク明けあたりだそうで、来年はゴールデンウィークの後ろに休みを取って見に行こうと思っています。
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 本堂の軒下にはこんな木彫りが。
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 屋根は瓦ですねぇ。雪、大丈夫なのかな?上の方に3つ並んで何か印が・・・・・
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 家紋ですね。武田菱。
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 これは鐘。こうやって鐘をぶら下げている建物を丸ごと指して『鐘楼(しょうろう)』っていうんですねぇ。勉強になります。
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 なんか歴史を感じるなぁとか思いながら見渡すとこんな物が。こういうの一個見つけちゃうと、なんかイラッとしますね。

 さて、ここまで二つのお寺はどちらも曹洞宗。お次に紹介するのは浄土宗です。
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 光善寺。見ておわかりの通り門には阿吽の像が。
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 もうすぐ40にもなろうというのに、ついさっきまでどっちが阿でどっちが吽なんだ?なんて思っておりましたが、今勉強いたしました。阿吽の阿(あ)とは口を開いて最初に発する言葉。阿吽の吽(うん)とは口をつぐんで最後に発する言葉を指すそうで、口を開いている方が阿で閉じている方が吽だそうです。人型に限らず狛犬やシーサーなど、対をなしているものはたいてい片方が口を開いていて片方が口を閉じているとか。
 で、次にこれがあるお寺と無いお寺の違いは何だろう?宗派の違いかしら?なんて思ったのですが、またあんまり根を詰めて勉強すると更新が滞るので阿吽についてはこの辺で。
 門の軒下にはまたもや木彫りの像が。
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 さっきは龍でしたが今度は鳥さんですねぇ。鳳凰というやつでしょうか?
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ナニ道場?
 実はこのお寺にも松前三大名木の一つがあります。その名も
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 なんとも重苦しい名前ですねぇ。しかも『伝説の桜』ですよ。どんな伝説なのかと見てみると、二つの伝説があるようです。
伝説その1
 今から二百数十年前に一人の鍛冶屋がおりました。現役時代に一生懸命働いてお金を貯め、いつかは上方見物をと考えていました。息子が家業を継いで隠居したその鍛冶屋は、さっそく娘を連れて上方へと向かい、ここ光善寺の本山にも立ち寄りました。そこで娘と尼僧がたいそう仲良くなり、帰りの際にこの桜を持って帰ってくれと、もらって植えた桜がこの血脈桜である

という伝説。『伝説』ってこういうお話でしたっけ?もっと・・・たとえばその娘が死んで桜になったとか、そういうんじゃないのかなぁ?
伝説その2
 鍛冶屋もその娘も亡くなってだいぶたった頃、古くなった本堂を建て直す話が持ち上がり、そのためにはどうしてもこの桜がじゃまだと言うことで切り倒すことになりました。切り倒す前夜のこと、住職が寝ていると枕元に桜模様の着物を着た美しい娘が立ち、自分は明日死ぬ運命にあるから極楽浄土にいけるように血脈を与えてほしいと言うのです。住職は眠いので断ったのですが、いつまでも娘は泣き続けてその場を去らないため仕方なく念仏を唱えて血脈を授けました。
 翌朝、木を切り倒そうとした際、枝先に白い物が結びつけられているのが目に入り、見てみると昨晩自分が授けた血脈だったそうです。桜の木の精霊が自分の枕元に立ったことを知った住職は切り倒すことをやめ、本堂の縄張りを変えたそうです。

 あ、こっちが伝説ですね。二つの伝説があるんじゃなくて1話、2話ってことだったんですねぇ。ようやくわかりました。しかしまぁ、桜の模様の着物を着ていたってところがベタですねぇ・・・・・。でもやっぱり美しい娘に化けるんですね。汚らしいおっさんに化けたら血脈もらえないかもしれないですもんね。
 明治36年に本堂などを全焼した火災が発生し、この桜も火をかぶって焼けかけたが復活したそうです。はやりの『パワースポット』にでもなりそうですね。
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 最初の門をくぐるとその先にはもう一つ門が。どうやら右側に見えているのが血脈(ケチミャク)桜のようです。
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 う~んと、2本立っているけどどっちかな?どうもこちらは正面ではないようなので向こう側に回ってみる。
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 画面に入りきらないぐらい大きい木です。南殿(なでん)という品種で、松前に咲く南殿はほとんど、この血脈桜を親木として増やされてきたんですって。樹齢はほぼ300年。もちろん松前一の古木です。
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 こちらが光善寺の本堂。さすが明治後期に立て直されただけあって、最初に見た山門と比べると新しい感じがしますね。ここ、光善寺には、血脈桜以外にもこんな物があります。
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 1796年、このあたりにあった劇場の観客席の屋根が積雪によって崩れ落ち、多数の死者が出たそうです。この大仏はその犠牲者の供養のために当時作られた物で、もともとはその劇場に建てられていた物を明治になってここへ移したそうです。なんで移したんでしょうね。

 さて、ここまでは松前公園の周囲にあるお寺さんの景色。ここからが松前公園内の景色になります。地図で言うと上の方、北側から公園内に入ったのですが最初に目にしたのは
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 何がどうなって縁結びの木というかというと
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 ちょっとわかりづらいんですが、木の幹は2本出ているのですがちょうどこの看板の高さぐらいのところで2本がつながっちゃってるんですよ。何がどうしてこうなっちゃったのかは知りませんが、まぁ木なんてのは『継ぎ木』といって、切り払った枝の先に切り込みを入れて全然違う木を差し込むと取り入れちゃうぐらいなんですから成長途中でそれと同じことが起きたんでしょうね。
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 どこを見ても冬桜がちらほら咲いているだけです。来年は咲いている時期に来られるかな?
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 さて、道内唯一のお城、松前(福山)城の見物といきましょうか。
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 土方歳三らに攻められて落城したこのお城ですが、建物は無事だったようで解体されたのは廃藩置県後の1875年のこと。それでも本丸の施設は残されたのですが、戦後の1949年に町役場から出た火事が飛び火して燃えちゃったんですって。
 入場料は・・・・・
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 大人350円はいいとして、小人230円ってずいぶん半端な金額ですね。
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 さすが再現されたお城だけあって鉄筋コンクリートバリバリの構造です。一度地下に潜ってから階段で城内1階にあがります。確か3階建てで、各階にはそれぞれ様々な展示物がありました。
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 これは松前屏風の模写。本物は非公開だそうです。松前屏風は松前城下を描いたもっとも古い資料で、およそ250年から300年ほど前のもの。福山館(松前城の前身)を中心に、武家屋敷や商家、交易に来たアイヌの仮小屋などが描かれています。
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 お城の後ろに描かれたこの山。実際の位置から考えると勝軍山ってことになるんですが、不思議と『松前屏風 勝軍山』で検索しても全くヒットしません。よそのページでこれは岩木山であるという記述を見ましたが、岩木山ってのは青森県の山で、こうやって海側から見た場合は背中の方向にあるはず。作者があえてここに合成したような記述も見かけましたが、どれが本当なのかわかりませんでした。いや、あまり徹底的に調べ上げるとホラ、またアイヌの歴史の時みたいに1ヶ月以上放置ってことになったりするのでね。
 勝軍山だったとした場合は、あの山頂に描かれているのは勝軍地蔵(とげ抜き地蔵、身代わり地蔵、子安地蔵など、数ある地蔵菩薩の一種。武勲や戦勝祈願の地蔵尊)の祠ということになるのかな?
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 続いてこちらは制書(せいしょ)です。『せいしょ』で変換しても出てこないところをみると、現在はそのような言葉はないようですが、将軍の代替わりの度に松前藩に与えられてきた物で、他の藩で言うところの領地安堵状のようなものだったようです。つまり、蝦夷地における交易独占権を認めるといった内容が書かれています。詳しく見てみると
・諸国から松前に出入りする者は、松前藩の許可無くアイヌの人々と商売してはならないこと
・理由無く蝦夷地に渡り、商売してはならないこと。もし、違反する者があった場合にはただちに知らせること
付 アイヌの人々はどこへ行っても自由であること
・アイヌの人々に対してひどいことをしてはならないこと

が書かれています。1711年に6代将軍家宣から与えられたようですが、たいした効力がなかったんでしょうかね。色々ありましたもんね。
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 北海道ですねぇ。もちろんこれが使われていた江戸後期では『蝦夷地』とよばれていたわけですが、ずいぶん縦につぶれちゃっている感じ。やはり北の方はどうでもよかったのかな?
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 上手なのかどうかはわかりませんが、バランスはとれていますね。松前14代当主、章廣の筆だそうです。
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 こっちは17代当主、崇廣の筆。フナダマダイミョウジン?

 3階には近代の写真が飾られていました。
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 これは、悪いやつの写真ですね。土方歳三って坂上忍に似てますよね。
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 燃えちゃいましたね。

 窓から外を覗いてみました。
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 これは道の駅。他の景色もと思ったのですが、何せ鉄格子が邪魔、光がガラスに反射して邪魔。写真撮影には適していないところでしたよ。ここにも夷酋列像がありましたが、やはりガラスの反射が邪魔してきれいに写せませんでした。ここのものも模写。本物は函館市立図書館に2枚、フランスのブザンソン美術館に11枚あるそうです。ただしこれらも『本物とされる』という表現であって、必ずしも本物と断定されているわけではないようです。だいたい12人描いているのに全部で13枚ってのがおかしいですものね。
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 これはここまであがってくる階段を上から写したもの。結構急なんですよねぇ。まぁ、本物はもっと急だったでしょうが。
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 これは確か2階にあったような・・・。階段を下りて真っ正面にあります。ただ、もうちょっとガラスの枠とか、考えた場所に置いてほしいですね。物は何かと申しますと、かつて栄えた時代に豪商達がそれぞれ贅を尽くして山車を出したそうで、そのうちの一つ、求福山の見返り幕だそうです。金糸や銀糸をあしらって鯉が滝を上る様子が刺繍されています。
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 城内を一巡りして外に出てきました。このお城の屋根にも
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 こんなの付いていたんですね。

 広い中庭の一角にこんな物が。
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 こちらは本丸表御殿玄関です。明治7年の取り壊しの際、本丸と表御殿は壊されず残され、表御殿についてはその建物が松城小学校として使われたそうだ。明治33年に新校舎ができた後もこの玄関だけは使い続けられ、昭和57年まで使っていたんですって。見た感じ、昭和の物には見えませんでしたので、これはずっと昔からの物が失われずに使い続けられてきたのでしょう。しかし、小学校の玄関にしちゃうとは・・・。絶対どっかにウ○コとか、落書きしてあるんでしょうね。

 出口間際に本丸の写真の続きがありました。
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 燃えちゃった後です。ぼろぼろですね。
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 この姿から今に至る、ということになるのでしょうが、やはり玄関の位置が先ほどと違いますね。
 同じショーケースの中にこんな物も。
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鳥瞰図というのは地図を記すときの技法の一つで、斜め上から見下ろしたように描かれたものをいう。飛んでいる鳥の目から見たように見えるというのが『鳥瞰』の語義のようだ。

 近くには松前の始まりである武田家の家系図があった。
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 ここまででも結構長くなってしまっていますが、せっかくの機会ですのでちょっとお勉強しておきましょう。一番最初に描かれている源頼義(みなもとのよりよし)ってのは、武門の棟梁や源氏の大将など、有名どころはみんなこの源頼義を祖としている。その下に書いてある八幡太郎義家は長男で、この家系からは源頼朝や義経、木曾義仲や足利氏の祖などが輩出されており、その横に書いてある新羅三郎義光は名前の通り三男で、こちらの家系から佐竹氏、武田氏、小笠原氏などが輩出された。新羅三郎義光の子のうち、次男に当たる源義清(みなもとのよしきよ)が『武田冠者』と記されているのでたぶんここが武田の始まり。武田義清とも称される。義清の何番目かわからないけど息子が源清光で、逸見清光とも呼ばれている。そしてこの清光の最初の子どもが双子だったんですが、後から生まれた方、つまり次男が武田信義であり、甲斐源氏4代目当主にして甲斐武田初代当主となる。この信義の5男が武田信光(安芸武田氏祖)で、この先はもう一気に行きますね。信光の後は信政→信時→時綱→信宗→信武→信成→信春→信満→信重→信守→信昌→信縄→信虎、そして信晴(信玄)となるわけですよ。この中に出てこなかった若狭武田氏祖の信繁ですが、途中出てきた信武の子で信頼というのがおりまして、その子孫にあたるのが信繁であります。
 写真にあるとおり甲斐武田の信玄はその4男勝頼に家督を譲りますが、その勝頼は長篠の戦いで織田信長に大敗し、その後の天目山の戦いで妻子共々自害。これにてお家断絶というわけです。ただ、ちょっと気になりまして・・・・・実は私の母方は武田信玄の子孫だと聞いたことがありまして、お家断絶なら子孫はいないのでは?ということで調べてみましたよ。
 信玄には側室に産ませた子もあわせて7男6女、13人の子どもがおりました。そのうちの男子7人を順番に見ていきましょう。長男は義信。義信は当時同盟を組んでいた今川氏から嫁をもらっていたが、信玄に背く謀反の動きに加わったとして離縁の上幽閉。その後30歳で死亡した。次男信親は生まれつきか幼少の頃からか、とにかく元服する頃には両目を失明しており、端から跡取りにはなれなかった。国衆海野幸義の娘を嫁にして海野姓を名乗るがその後出家。ただし子どもがいてその血脈が一つ、現代までつながっている。3男信之は11歳で死亡。4男勝頼は前述の通り。5男盛信(仁科盛信)は高遠城にて、武田討伐にやってきた信長が嫡男信忠と激戦の上戦死。6男信貞、これがよくわかりません。信玄の6男以外に5男盛信の次男にも信貞ってのがいますねぇ。最初は仁科盛信となった家柄からまた武田の姓に改めたことで6男という扱いになったのかとも思いましたが、どうも別人のようですね。5男仁科盛信の次男である信貞は武田の残党狩りの際に祖母方の油川氏に身を寄せ生き延びたようで、信玄の6男信貞は甲府の地において信長の兵に殺されたと記述されております。最後に7男信清ですが、こちらは残党狩りの時に姉を頼って米沢の上杉に入り、その子孫は今も絶えることなくつながっております。これが二つめの武田。現在、武田信玄の直系とされているのは次男信親の血脈の方とされているようです。
 肝心な松前の流れとなる武田信廣の系列ですが、なんだかもう飽きちゃったのでやめておきましょう。
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 これはたぶん次の写真に示されている中身から考えて天神坂門。あれ?本丸御門かなぁ。天神坂門だったら21世紀に入ってからの復元品ですからピッカピカのはず。それだったら写真撮らないよなぁ。本丸御門の場合は建設当初から残っている由緒正しい物。たぶんこっちか・・・。
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 これは三大名木最後の1本。夫婦桜です。品種は染井吉野。下から見上げてみると
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もう自分だけでは立っていられないのでしょうか。添え木が施されておりました。
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 公園を出てまた別のお寺を発見しました。その名も阿吽寺。でも、阿吽の像が無いです。このお寺、もともと別な場所にあったそうですが、1617年頃に現在の位置、松前(福山)城から見て鬼門の位置に移ったそうです。
真言宗のお寺です。
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 本堂の中にはいるとおみくじが売られていました。誰もいませんでしたがきちんと50円払って引いてみましたよ。おみくじなんて二十数年ぶりですよ。末吉でした。
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中には不動明王が祀られていました。

 さて、最後はここ、松前に咲く桜の解説が見られる・聞けるの桜資料館です。
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 桜が咲いていたらどんなにすてきなことでしょうかねぇ。来年こそは・・・・・。桜資料館の入館料は無料です。中にはおばちゃん達がいっぱい居て、質問すると色々教えてくれるようです。
20100430191.jpg
 これは日本最古の桜の品種専門書だそうです。他にも様々な展示物があり、正しい接ぎ木の仕方が図解されていたり、桜がはやる前は梅がはやっていたとか、色々歴史年表みたいな物もありましたよ。


 さて、また今回もなんの脈絡もなく気になったことを調べては書きつなぐだけの、実に見づらいページになってしまいましたが、ようやく次のお話から岬の写真に戻れそうですよ。
【2010/08/10 13:29】 岬巡りの旅 番外編 | トラックバック(0) |
コメント(2)
shion/ Ktaro/ 
comment
♥  
Ktaroさん、こんばんは(^-^)
お盆なので帰省されてるんでしょうか?それとも旅行かなぁ~ 今度は動物園にも行かれるんですね( ´∀` )動物の写真もたくさん撮ってきてくださいね。 阿吽の像、子供の頃は顔を見るのがこわかったです^_^;今もちょっとこわいかなぁ・・・

【2010/08/13 21:55】 url[shion #-] [ 編集]
----------------------------------------
♥  To shionさん
 ただいま。先ほど実家から帰ってきました。今回の夏休み期間中は最初の木曜日から4泊5日で稚内へ出張(中体連)。次の木曜から3泊4日私事旅行で函館他(移動距離1700km)。その次の木曜から今日まで実家に帰省。車での移動総距離は軽く4000kmは超えるというハードな夏でしたよ。

【2010/08/15 15:44】 url[Ktaro #xs9SEtpE] [ 編集]
----------------------------------------
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