ぶつぶつ・・・。 第143話 帆越岬
ジャンルわけなんてできないですね。「ぶつぶつ」ですから・・・。
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No,1695

第143話 帆越岬

帆越岬 撮影場所~せたな町大成区太田
20100430801.jpg
 かなり暗くなってきてしまいました。時間にして17時30分ぐらいだったんじゃないかな?行くまではこの岬は撮影できないと考えていたんですよ。というのも
20100430803.jpg
 ご覧の通り、あの山のように見えたのは見たとおり山でして、帆越山という山のようです。道道740号線はその山にトンネルを通しているため、帆越岬は位置的に撮影不可能だと思っていました。ただ、通り過ぎて振り返ってみるとなにやら岬っぽいモノが見えましたのでとりあえずの撮影です。
 最初の写真の様子だと、どうやら私は漁港のような場所から見ている様子。さっきの地図に出ている太田神社は記憶があるんですが、漁港の記憶がもうない。ということで、どこの漁港なのかも調べてみましょう。
20100430805.jpg
 画面下の赤い円。このあたりが帆越山トンネルの北側出口であり、その円の中に鳥居マークがありますが、これが太田神社。トンネルを抜けてすぐのところの左折する道があり、簡易トイレとかもあったんじゃないかな?確か老夫婦とその孫みたいな感じのファミリーが魚釣りの準備をしていました。それから画像上の黄緑色の円。このあたりがどうやら最初の写真の撮影位置のようです。名前が出ていませんが、この辺の地区名から考えておそらくは太田漁港ってことになるでしょう。道道自体はこの漁港よりも100mほど北まで通っているのですが、うっすらとした記憶ではこの漁港のところでバリケートが作られ、それより先へは進めない状態になっていたはず。端まで行っていたならこれまでどおり、『ここが端っこ!』ていう画像があるはずなんですが、それがないですからね。
 でも、行き止まりなのがわかっていて、そこまで行ってみる。この精神のおかげで、撮影できないと諦めていた帆越岬が撮影できました。アップの画像もあるので見てみましょう。
20100430802.jpg
 およ?暗くてわかりづらいですが画面左端、岬の根本部分に赤い屋根の覆道跡らしきものが見えます。ということは、やはりここも新しいトンネルが造られたことで置き去りにされた旧道があるようです。ちょっと資料収集に行ってきましょう。こんなことやってるから先に進まないんですけどねぇ・・・・・。




20100430808.jpg
 あちこち見て回って、ページ内で特に著作権を謳っていないところからぱくってきました。やはりトンネル開通前には海岸線に旧道があったようです。しかし、
20100430809.jpg
台風などの影響で現在はご覧の通り。車での通行はもはや不可能です(もちろん、入り口にはバリケードが施されています)。
 このあたりの海岸線は未だに道路が全線開通していないほどの断崖絶壁続き。その中でほんのちょっとだけあった平地、それが太田地区なんでしょう。平らだったら住めるって訳ですよ。もうね、現住の方々には申し訳ないけど、みなさんこの辺では土地って買うの?勝手に家とか建ててない?っていうぐらい不便なところ。舗装道路こそ通ったものの、昔から高波や落石でとっても危険な道路だったらしい。そこに20世紀最後の年である2000年に着工。これ以前の1993年には、あの奥尻島の青苗地区を完全に津波がのみこんでしまった北海道南西沖地震があり、そのときの津波でここ太田地区でも幼い子どもが波にさらわれています。そんなこんなでようやく悲願かなった帆越山トンネル着工。4年後の2004年8月3日に開通いたしました。
 ところで、2004年って何があったか覚えてます?まぁ覚えてる人は少ないでしょうが、北海道ってあんまり台風の影響を受けないんですよ。北海道に来る頃には温帯低気圧に変わってるのでね。ところがこの年の台風18号は一度衰えた勢力を回復させて北海道へ上陸しました。おかげであちこち土砂崩れ。北海道だけで死者8名行方不明者1名を出しました。北海道に上陸したのが9月8日。帆越山トンネルの開通があと、1ヶ月ちょっと遅れていたら完全に太田地区は孤立していたでしょうし、もしかしたらこの道を通行していた人たちで死者数ももっと増えていたかも知れませんね。

 さて、ここまで来るのにちょこっと触れた太田神社。本名を太田山神社というようで、その始まりは1441年頃。創立して10年ちょっとした1454年には松前のときにご紹介した武田信廣さんがここへ来て『太田大権現』の尊号を賜ったそうです。当然その頃は道なんかありませんから海からやってきたのでしょう。『武田信廣が上陸した際に・・・』と表現されていました。
「スンゴイ時間をかけて行程表を作り、毎回1000km以上モノ運転をして岬巡りしているのだから、もうちょっと詳しく勉強して下調べをし、この神社にも行ってみたかったなぁ・・・。」
なんて思ったのですが、少し調べてその思いは吹き飛びました。神社の本殿は山の中腹にあるとのことで、まず最初は親切に石の階段がついているそうです。ただし緩やかなところで45度、もっとも急なところで50度の傾斜の階段がね。私は幼い頃からスキーをし、道内のスキー場であればどこでも滑降できます。今はどうか知りませんが、中学生当時、札幌市内にあるスキー場で最大傾斜は札幌国際スキー場のダウンヒルコースかなんかで36度ぐらいだったはず。あのねぇ、35度を超えた斜面を上から見るとほぼ垂直なんですよ。それが45度、50度だなんてとんでもない話です。階段も1段の幅より高さの方が長いらしく、大人だったらかかとが宙に浮いたままの階段登りとなるようです。しかし、それでもまだ階段があるうちはラク。そのうちその道は梯子になり、単なる山になり、最後はぶら下がってる鎖に足をかけて登るらしい。いつ誰が死んでもおかしくない状況。単なる観光名所だったらとっくの昔に立ち入り禁止になっているでしょう。しかしここは神社。参拝者には、死を覚悟して自己責任でどうぞって感じで開かれているそうです。
 これ以上、よそから画像をパクって来ると危険なので、偶然発見した、実家のそばの神社の社務所で作られているHPを紹介しておきます。あの、西野神社っていうんですが、幼い頃は300円握りしめて、小学校低学年の足で片道2時間近くかかる神社のお祭りに行ったものです。当時はまだ、金魚すくいも型抜きも1回100円でしたからね。そういえば小6の時だったかな?ダーツをやってね。280点だったんですよ。あ、これじゃわかりづらいですね。200円でダーツが3本渡されて、的のど真ん中が100点、その周りが80点、その周りが60点・・・っていう的でしたが、2本がど真ん中に、1本が80点のところに。で、景品がなんだったと思います?ナント!ミシンですよ。たぶん、あのおじさんがテキ屋を始めてからずっと使い回している最上級の景品。でもねぇ、小学校6年生男子にとってミシンなんて要らないわけですよ。当時で考えても相当年代物のミシンでしたからね。それで要らないってことで、お店にある好きな景品を選べることに。選んだのは当時大人気だったガンダムのプラモデル。通称ガンプラですよ。通常のモビルスーツの144分の1のプラモデルが300円だった頃、ホワイトベースは千円でした。そのホワイトベースのプラモデルをもらったのが、この西野神社でしたよ。
 型抜きのお店ではよく、下に落ちている型抜きのあの、ガムのような板を拾って食べたものです。ニッキか何かの味がしたな・・・。平成の子どもに聞かせたら、お祭りに行ってもお小遣いが無い、あるいは少なくて下に落ちているモノを拾って食べたなんて、びっくりしちゃうかも知れませんね。景気が悪いだなんだと言って、バブルの頃に大もうけした民間の方が公務員バッシングで憂さ晴らしをする世の中ですが、昭和のあの頃に比べりゃ絶対に今の方が裕福なんですよ(´ー`)y━~~

西野神社社務日誌へ
【2010/11/25 05:22】 岬巡りの旅 日本海沿岸編 | トラックバック(0) |
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